誰もが何らかの才能を持って生まれてきますが、それに気付くことなく生涯を送る方が多いことも事実です。
隠れた能力を開花させられずに「自分には何の才能も無いのではないか」と落ち込んでしまっている方も少なくないのではないでしょうか。
しかし、才能が見つからないことには理由があります。
ちょっとした生き方、考え方のコツを掴むだけで、自らに秘められた才能を見つけることができるのです。
自分自身が楽しく、豊かに生きるための手段として、才能の見つけ方のヒントをお伝えします。
思うように才能が見つからないことには理由があります。
これまで、なぜ自分の能力に気付くことなく生きてきたのでしょうか。
まずはその理由を発見し、今よりもさらに豊かに生きるためのヒントにしましょう。
自己肯定感とは、結果の良し悪しを一切度外視にして、自分の存在そのものを肯定する力です。
自己肯定感が低いと、自分自身の行動や性格を過小評価してしまい、本来なら大切にすべき才能を見過ごしてしまうことがあります。
自己肯定感は、生まれ育った環境や過去の経験などから低くなります。
しかし、自分自身を大切にして、存在や行動自体を肯定していれば、今から養うことも可能な能力です。
まずはありのままの自分を受け入れてみましょう。
自己肯定感が上がれば「もしかして自分にはこんな才能があるのかもしれない」「こんなに上手くいくのだから、私にはこの才能があるに違いない」という気付きに恵まれます。
これが才能を見つける大きなきっかけとなり得るのです。
自分が得意としていたことを否定された過去を持つ人も、才能の見つけ方に苦労してしまうケースが多いようです。
たとえばスポーツで活躍できていたのに「勉強の邪魔だからやめなさい」と言われたりした経験も、才能を遠ざける原因になります。
自己肯定感にも繋がる話ですが、自分では上手だと思っていたことを「下手」だと評価されると、自信を失い、才能アリだった物事から離れてしまいます。
両親や兄弟など、近しい存在の人から悪い扱いを受けるほど、この傾向が顕著になる点も特徴的です。
人とは違ったセンスを持っていても、それが「常識」や「平均」からはみ出ていると止めるように言われることもあります。
これが才能を開花させる上で足かせになり、好きだったはずのものを嫌いになる原因にさえなるのです。
学習性無力感とは、努力が実を結ばなかったという実体験により、無力感を覚えてしまうという症状です。
「頑張ったけどできなかった」といった過去の学習が「挑戦してもどうせできない」という無力感を生み出します。
これが邪魔をすると、自分でもしかしたらと思える才能を見つけても「そんな才能が本当に自分にあるわけがない」「才能を開花させようとしても失敗するに決まっている」という感情に繋がります。
これでは、才能を生かすための行動に移そうという気にはなれません。
人生は良いことばかりではなく、悪い経験が教訓として染み付くことも多くあります。
なんと大人の約8割が学習性無力感を抱えているとも言われるほどです。
これをひっくり返して、むしろ「自分にはできて当たり前」と思えるようにすることを目指しましょう。
ここまでにご紹介してきた「壁」を取り除き、才能の見つけ方を正しく把握することができれば、自分の人生がより豊かに、そして華やかになります。
才能の見つけ方のコツを、これからじっくりとお伝えしていきましょう。
誰にでも一つは趣味や好きな物ごとがあります。
あなたが時間を忘れるほど夢中になれるものは何でしょうか。
映画、ゲーム、読書、DIY、スポーツ…色々な題材がありますが、才能は自分の趣味に潜んでいることが多いのです。
たとえばスポーツ場合、競技者としての才能を開花させ、プロのアスリートになれる人物はほんの一握りです。
しかし「指導する」「楽しさを伝える」「解説する」「商売をする」など、競技以外の形で才能を発揮させることはできます。
さらに解釈を拡大させることも可能です。
スポーツを解説し、楽しさを人に伝えることが好きならば、「専門用語をわかりやすく噛み砕くこと」「人を喜ばせること」「見た物を分析すること」の才能が潜んでいるとも考えられます。
自分にとって何が得意なのかを再認識すると、思わぬところから才能が見つかるかもしれません。
先ほどのスポーツの例えと同じように、自分が得意に感じることから大枠のテーマを見つけ出し、それを才能と考えれば良いのです。
まずは、これまでの人生で「成功した」という思い出を5つ書き出してみましょう。
「一人で海外旅行をすることができた」「ゲームのトーナメントで優勝できた」「勉強を教えた子が優秀な成績を取った」など、どんなことでも構いません。
上の3つの例の場合は、順番に「未知の世界を独力で切り開くこと」「結果を出すための努力を惜しまないこと」「人に指導すること」が得意と考えられます。
この「得意」を結び付けられる才能を探してみましょう。
「才能」と「天才」はまったく違います。
才能というと凄いものであり、何万人に一人しか持ちえない特別な能力だと思い込んでしまう方も多いのですが、決してそのようなことはありません。
才能は誰にでも眠っている身近なものなのです。
たとえば「明け方までゲームを続ける」というのも、言い換えてしまえば「強靭な集中力」という才能になります。
眠気や飽きによってゲームを続けられない人にとってみれば、それができる人は特別に見えるものでしょう。
才能を持つ人は別世界の人だと思ってしまうと、自分の才能を見逃してしまいかねません。
肩の力を抜き、得意としていることから才能を導き出すことができれば、いくつもの才能に恵まれていることに気付けるかもしれないのです。
はじめてギターを持った人が突然演奏をはじめることができれば、それは紛れもなくギター奏者の才能です。
しかし才能は、開花した状態で現れることはほとんどありません。努力をして引き伸ばし、育てられるものが才能です。
ギターの音が出なかったり、上手に弾けなかったりしても、それを続けてモノにできるのならばいつか立派な才能になります。
血の滲むような努力が裏に隠れていたとしても、その結果として「ギターが上手に弾く」ことができれば、第三者から見れば、その品物は「ギターの才能を持つ人」になるのです。
人間は誰しもが何らかの才能を持って生まれてきますが、「才能」というものを過剰評価していると、自分自身が持つ才能に気付けません。
学習性無力感を無くし、自己肯定感を育てる心を手に入れることから、気持ちを変化させていきましょう。
才能は特別過ぎるものではなく、努力次第で伸ばせるものです。
自分が得意なこと、好きなことは何なのかという視点を大切にして、そこから長所を見出すことが、才能の見つけ方における最大のコツになります。